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農は国の宝、土を作るは上農

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-5-20 10:50
 農業にとって、健康な土が命だ。その土を、近代化学がいじめてきた。
土が固くなる、土壌微生物が減る、寒さや病気に弱い、汚染する、と言われ昔ながらの堆肥のよさを現代の技術で再生することが望まれてきた。
 堆肥のプラントは昔からいろいろある。減量率の少ない完熟していない堆肥は、糞尿の臭いが取れず、畑にまけば熱を出して根をいためてしまう。

 農水省が認める完熟堆肥を作れるプラントは多くない。その中でも、堆肥を売って収益をあげようとする堆肥事業は、全国的にうまくいっていない。
堆肥は完熟させれば量が減る。量を確保しようとすれば、堆肥は未熟となり売れ残る。良い堆肥をつくり、堆肥量が減って収入が減るような事業は成り立たないのだ。
農水省も自治体が支払っている汚泥処理費用を堆肥化費用として回すようにと指導している。
自治体が運営する堆肥化プラントも、堆肥の売り上げだけで利益を上げようとすると赤字になる。
これは当然なのである。環境部門の汚泥処理費用で補填しているのだ。長井市のレインボープランの堆肥でも同じことだ。

この汚泥処理費用は全国でみると5倍位の開きがあって、焼却するのが一般的であった。
しかし現在焼却処分している汚泥も、大気汚染防止や地球温暖化防止の見地で、そして電気代や燃料代といった経費の節減からも、その一部は堆肥にリサイクルし、資源化するべきものとして法律が整備されつつある。
安全な有機堆肥で農業の基盤も強化でき、住民の健康も得られる。
 堆肥プラント事業は自治体のいくつかの部署が一体となって取り組み、農民と協力するべき事業である。自治体の理解が不可欠となる。
環境にやさしい堆肥が及ぼす波及効果は地域の農業の底上げと生き残りに関わっている。
この事業に関わる農政、環境、都市計画、農村整備、下水道、商工、労働、観光、医療、福祉という多くの部署に、分野を越えた循環型社会形成の意味を理解してもらい、経費のかからない簡素な自治体としてどのように生き残っていくのか、健康な農が基本であることを宣伝する地域になってほしい。
60歳を越えた農民達が、陽明学者安岡氏の「農は国の宝、米を作るは下農、稲を作るは中農、土をつくるは上農、人をつくるは上々農」という言葉を唱えて、自分の生きざまを地域に残そうとしている。
その農民と一緒に努力するお役人が一人でも増えることを願う。

鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長

青森りんごを青森ブランドで

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-5-10 10:50
 りんごの産地は、なんと言っても青森県であって、青森でそれを疑う人はいない。
 昨今の「安全安心」「減農薬」「循環型農業」に刺激され、健康な食品としてりんごを作ろうとする農民が県内各地に頑張っている。
その中の一人、身体にやさしい農産品を売る津軽の農民が、農水省の土づくり委員会の中嶋とどむ先生と知り合った。

農水省がおこなっている農業集落排水汚泥堆肥化プラントの補助事業に手を上げないかと言われたのは、4年以上前のことだ。
中嶋先生とは、ローソンやイトーヨーカ堂など大手スーパーで、ミネラルバランスの取れた健康農産物の販路を持つ中嶋農法の提唱者だ。
農水省は言う。県や市の担当者が手伝うならコンサルタントは要らない。農民主体の事業を立ち上げれば、お金のかからないものになる。
そうすれば地方自治体が設計する経費の半額ですむ。政治家が関わらないで大きな事業がおこなわれるのは珍しい。
「これは全国の農民モデル事業になれ、」と農水省は言った。
 農民達は自然農法や減農薬、低農薬栽培に関心があり、自分で作った無農薬のおコメから白神の酵母を使って日本酒を作ったり、減農薬のりんごを関東の大手に出荷していた。
しかし中間のバイヤーに買い叩かれ、中間マージンを取られることの不満を思っていた。
津軽のブランドとして組合などの集団で、ある程度の量を安定的に出荷できる販売網を持たない限り、買いたたかれてしまうのだ。

青森のりんごであるのに他県のブランド名の下でしか循環型農業の農産品として、手間をかけて作った健康食品として売れないのである。
自分達のこだわりを伝えるブランドを持ちたいというのは、当然のことであった。
 県では「攻めの農業」と言い、市では「農業立市宣言」をし、ISO14001を取得して環境配慮の「循環型社会」を目指そうとしている。
しかし農民達がやろうとしている事業は前例が無く、コンサルタントにも食いつかれ、組織が弱いと言われて難航している。
何とか青森のこだわりりんごを、青森のブランドで売れる道を開きたいものである。


鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長

(2006年7月9日 東奥日報 経済サロン)

医を越える農を目指して

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-4-30 10:40
 「健康は私達の宝」、そんな言葉が病院の受付におどっている。健康を確保するための食が求められ、食の安全安心、医食同源という言葉が復活し、さらに食育と言われ食は心の問題にまでなっている。

医と食は不可分であり、医をつきつめれば食に至る。
現在の危機感は世界の人口から一人の人間を探すようなレベルの極微量の環境ホルモンなどという毒物が、食を通じて胎児に影響し、母乳にも含まれるという現実からきている。
 農民の危機感は自分の仕事をどう残すかという切実な問題と、自分の作り出す食品への不安からきている。
自分達の本来するべき生業から健康を求めようとした農民が各地にいた。
 昨秋NHKのクローズアップ現代で放送された西会津の村の様子は大変衝撃的なものであった。村人が食事の減塩につとめ、農地をミネラルバランスの良い土にするために土壌の化学分析を依頼した。健康な農地から健康な野菜を作って村人が食べるようになったら、村の医療費が半分に減ったというものだ。
 対処療法ではなく、原因をなくし健康を直接求めたほうが話は簡単だ。病院は有った方が良いのだが、病院がなくて済むならそれが最高なのだ。
津軽でも健康な食に生き残りをかけて、60歳以上の年寄り農民が立ち上がった。孫や子に継いでもらえる農業にするために堆肥プラントを導入し、健康な土作りをし、流通や販売網も確保しようという、野心的なものだ。 「自分達の作った農産品の価格を自分達が決められるようにしたい。」

「農産物も自由化にさらされ、つぶれそうだ。」
「百姓は平成の維新という意識で新しい挑戦に取り組むのだ。」
「消費者が本当に求める健康な食品を作れば、収入を確保し農業を続けていける。」
「若い人が継いでくれる農業にしたい。」
いま弘前大学を卒業する農家の息子達はほとんど農家を嗣がない。それは収入が確保されれば解決するのだ。
消費者も健康のために多少の経費は惜しまない。「医療費が減る」、「寿命が延びる」という夢を現実のものにするためには、お役所の力添えを残すだけとなっている。
「医を越える農」を青森に実現できるか。これが青森の生き残りを占うことにもなりそうだ。



鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長

良い靴

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-4-20 10:40
ロードレースで勝ち残るためには、良い靴が不可欠である。スウェーデンでは二人の旅人が虎に出会った時のブラックジョークにこの靴が出てくる。

 虎に出会った旅人の一人は、すぐさま逃げようとした。ところがもう一人は靴を履き替えようとしている。どうして靴を履き替えるのかと問われて、
「あんたよりもさきに逃げられるから。」
「・・・」
 この虎は実は現代の地球各地で起こっている環境問題であり、靴はゴミをつくらない社会、資源を無駄にしない社会だというのである。
 弘前市ではゴミの十二分別をすでに一年余り続けている。他の市では燃やしているその他プラスチックも油にもどされている。ゴミの資源としての質を、一級品であると日本リサイクル協会が認めたのである。
 その他の紙や段ボールも再生紙になる。落札した再生業者が思わず喜ぶほどの良質な資源である。

 ゴミ十二分別が成功すると思う行政マンは少なかった。環境保全課を動かし、市民を動かしたのは弘前の主婦達である。
 山は動いた。行政マンが予想もしなかった十二分別の成功。
 このゴミの質を維持し、津軽十四市町村に普及できるか。無駄なプラスチック容器を減らせるか。循環型の農業は成立するのか。 
次の山はいつ動くのであろうか。
 ゴミのかさは半分になり、重さは一割五分減った。このおかげで弘前市の発生する二酸化炭素は一・五パーセント減った。政府が国際的に約束した六パーセント削減まであと四・五パーセントである。
 いまのゴミに含まれる食品残査を堆肥と飼料にすれば、さらに三パーセントの削減も見込まれる。
 現在弘前では、中央清掃工場を建設中である。燃やせるゴミがこれほど減るとは思っていなかった時に設計されたのだ。     
燃やすゴミが減って燃料が足りなくなったら、その時こそ他市のゴミを燃やす商売を始めるときだ。
 その分、弘前市の市民税を軽減できる。

 五所川原市では新しい焼却場の建設を中止したため、弘前市にお金を払って弘前の中央清掃工場で燃やすのである。
 弘前の主婦達は、「ゴミ七分別の五所川原でも十二分別して欲しい」と感想をもらした。「そうでなければ、自分たちの市で燃やせばいい」と。
 弘前で分別され資源化されているその他の紙や段ボールなどは、燃やすゴミとして弘前で燃やされる予定である。
 「五所川原では十二分別するお金がない。そこまで要求するのはかわいそう。」
 本当にそうであろうか。ゴミ減量を促すべきである。二酸化炭素の排出権を他の国から買わねばならない時がもうすぐ来るのに。
 京都市役所では、再生紙やカレンダーの裏紙で作った名刺しか、業者から受け取らないと言うのに。
 弘前の焼却場で弘前基準のゴミを燃やすよう要求しても良いのではないか。そのようにできないなら二酸化炭素の排出料金をもらうべきではないのか。
 これは危機感の問題である。せっかく履いた良い靴の意味が失われる。
 五所川原にも良い靴を履かせるべきではなかろうか。



鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長

川の自由

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-4-10 10:40
かんたんに言えば、「河川工事では、川に自由を与えよう」であった。近自然工法という河川工法が最近注目を浴びている。

この工法の提唱者であるクリスチアン・ゲルディさんがお嬢さんと一緒にスイスから青森に来て話をしてくれた。
ゲルディさんによれば、川に対して、洪水などによって安全を損なわない限り何もしないことを理想とし、それに近い工法を探るのだと。
岩木川を見て一番驚いたのは、「土手の内側の河原にリンゴの畑があること」だと言った。「スイスでは二十三州あって、州ごとに規則はそれぞれ違うけれども、こんなリンゴ畑は許さない。」

無農薬・無肥料ならともかく、そうでないなら施すものはみな河川に流入していく。汚染と富栄養化を起こしてしまう。川は人間だけでなく、植物、昆虫、魚などいろいろな生物のものなのだから。
「川幅を狭めたり、流路を真っ直ぐにしたりするのは、川を不自由にすることだ。そうしたときに雨量が予想を超えれば、川が堤防を切るのは当然のことだ、」とも言う。
川岸の道路をつぶして河原にもどす。土手の幅を広げる。「蛇行してながれる自由を川にもどすべきだ。」
今年ヨーロッパで五百年に一度の洪水が起きたが、「この洪水に対して近自然工法はどんな意味を持つのか、」自ら問い直しながらの話であった。
これを聞いているのは建設コンサルタントや工事事務所の人たち、いわゆる土木工事関係者が多かった。
いままでは川をコンクリートで固め、三面張りなどの形にはめ込む。できた川岸の土手空間に道路を造る。道路にとって、そして土地利用のために、川は真っ直ぐの方が都合良かった。川は邪魔なものであったのだ。
川は排水やゴミの流出路でもあった。だから小さな川にコンクリートでフタをして道路を造った方が、住民は喜ぶ。子供にとって危険な川はいらない。
しかしながら川をドブ川にし道にして失われたものは、夏の涼しさ、ホタル、カエル、魚、川遊びである。
いまこれらの楽しさ、ありがたさを知る人が減ってしまった。そして川の危険性もわからなくなっている。

下水道を整備したら、ドブ川に鮎や鮭が戻って来はじめている。自然の回復力である。これはいままで川から奪ったきれいな水という自由の一部をもどしたことによる。
便利と感じていた土手の道路を、別の場所に住人を説得してもう一つ造ることにすれば、川幅を広げることができる。
ゲルディさんが繰り返し言ったのは、話し合って、説得して、川の自由を理解してもらうこと、であった。
いままでと考えを変えて、コンクリートをはがさねばならないけれど、市民が考え、声を上げなければ、お役所を変えることはむずかしい。川に自由を与えられるか。それは川に住む生物にも、それを楽しむ人間にも、自由を与えることになるのだが。



鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長

弱者のパートナー

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-3-30 10:40
パートナーは妻であるが、私の妻は五年前に交通事故で脳幹部を損傷し、いまも意識を失ったままである。いわゆる身体障害者であり、精神障害者となってしまった。
このような人間を社会は弱者という。大学でいろいろな学生に接し、外では考え方や生き方、価値観の違う人達にふれる。五十年以上も生きてきたからか、頭脳の回転の速さと頭の良さは別物であることを感じるようになった。
ひらめきのある人、知恵のある人、鈍いと言われる人、様々であるが、弱者と健常者の間に境界線があるわけではないようだ。

日本語を理解し面白い話に笑う重度の妻から頭脳明晰な人まで、連続的に変わっているように思うのだ。自分の能力を生かして誠意を持って生きるしかない。
知恵のある人は必ずしも回転の速い人ではない。老母の知恵は私の及ぶところではないと感服することがある。弱者の種類は生きるための必要事項による。
だから弱者は、精神や身体に限ったことではない。私は経済弱者と言っても良い。結婚した時、持ち金の半分で金貨を買い、いま金の相場が下落して価値が1/3に減ってしまった。経済の常識が足りないのである。
白金の方が当時は安かったが、その時から白金の方が金より少なく価値はあると知っていた。そしていま白金は、金より高い。白金を買う決断も勇気もなくまわりに流されていたと言えよう。経済弱者はお金で損をした。
こう考えれば、弱者は環境の問題、法律、医療などあらゆる生きるすべ、生き方に存在する。 

法律の使い方を知らないものは他人に使われ、知る者は法律に救われる。無保険の車所有者と裁判が続いているが、理不尽であり、理屈が通らない、そう思うことが多々ある。その隙間で商売をする人達がたくさんいる。示談屋などはその最たる者だ。私は法律弱者である。
医学に通じれば、妻をもっと救えたかもしれない。事故後五分以内に病院に搬入されたが、脳神経の損傷に積極的な治療はなかった。放置されたも同然といえる。
しかし日本のいくつかの病院では五分以内に運び込まれるなら、切れた脳神経も完全に治癒することができる。六時間以内でもかなりの効果があり、三日以内でも何らかの改善があるという。その治療を受けることができない人は医者がいないに等しい。医療弱者である。
そして環境弱者が存在する。私は環境にやさしい循環型社会をと言いながら、マーケットでプラスチック容器に入った食品を買いつづける。プラスチック容器を買わされるシステムはどうすれば変えられるのだろう。私も環境弱者である。

弱者がお互いに欠けたところを補い、安全、安心な生活を支えるシステムを作りたい。市民だけではできない、企業だけでもできない、お役所だけでも欠ける。そんな思いから、ひろさき環境パートナーシップ21はできたように思う。
あなたもどうですか。



鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長
 (2005年陸奥新報記事)

ブナの森の水

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-3-20 10:20
      鶴見 実
さる人に頼まれて、水環境ネット東北というNPO組織の開催したフォーラムに、ある夢を持って参加した。

夢とは、「弘前市内で水道の蛇口をひねれば白神の森の水が飲める」ことだ。
 国土交通省などから助成金を得て、ダムの工事事務所の人たち、建設コンサルタント、岩木川を考える会などを集めている。
 津軽ダムは必要か、そういう話し合いをする会であった。
「NPOを通じて市民の意見を聞いた」という"実績"が津軽ダム工事の免罪符になっては困ると辛口の発言をすると、主催者側の女性は「御用NPOにはならない」と宣言なさった。
合意を得ることが目的ではなく、お互いの意見を言い・違う考え方を理解するというものである。

この会で工事関係者は、「市民が節水に協力し川を汚さないなら、ダムはいらない」と、素直に市民の意見を求める。「自分の首を絞めるかもしれない」と言いながら、「なにもしないことが、川にとって一番良いのだ」という建設コンサルタントもいた。
津軽ダム発案当初の、右肩上がりの人口増加はもう無い。絶対的な水不足は起こらないとしても、元々水の十分でない岩木川流域では、各戸に水洗トイレや風呂の普及で使用水量が上がっている。
 六、七月、弘前市内の岩木川の水量は極端に減り、水質は悪化してしまう。農地からの流入や生活排水そして処理場の排水が入り込んで、関東の河川水なみの汚水である。
 世界遺産白神山地のお膝元で、日本有数のダイオキシン濃度の川泥を持つ岩木川の水を、浄化し飲まねばならない。
ダムは当初の目的を変更し、水の安定供給、水質向上といった多目的ダムを津軽ダムの標語とするようになった。
岩木川流域の住民を末代まで幸せにするには、「蛇口から、白神のブナ林の水が飲める」そういう日本一の水を確保する努力があるべきではないか。
本音を話し、実態に合わせて最善の道を探れないものであろうか。お金をかけて自然を破壊する愚に気付き、一時の利便性をすてる時代が来ていると思われるのに。
そのお金を、もっと長い世代にわたって幸せになれる本質的な水道工事に使えないものだろうか。

最近ペットボトルの水を飲む人が増えた。しかしこの水は今の水道水よりも汚いものがある。ペットボトルを買うぐらいなら、水道料金が倍になっても良い。トイレ用の中水道施設を普及させても良い。
それを絵空事というかもしれない。絵空事を収支計算で示し、何年で元が取れるか、負担はどれくらい増えるか。ケーススタディをして一般市民の理解を得る努力をしたらどうだろう。
今年度のはじめに国土省が「地元NPOの合意を得て開発計画を立てろ」というのは、そういうことではないのか。
そのようなことは当の国土省だって初めてなのだ。津軽では、ゴミ十二分別の知恵を生かして、おいしいブナの森の水を飲めないものか。



鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長
今秋からスタート
-地方革命が国の制度に-

 地方から始まった省エネラベル表示が、今年の秋から経済産業省によって制度化される。
 家電製品などへラベルの添付を努力義務化したのだ。省エネ性能を明示し、消費者に電気代の節約できる製品を購入する目安としてもらうためである。
販売する電気店や製造業者にもメリットがある。普段なかなか売れない高性能製品が売れるようになるからだ。

購入時高額な分は、10年程度の電気代節約分で十分もとが取れる場合が多いのだ。
単に環境にやさしいだけでなく、経済的にも有利なのである。 
 いまや地球温暖化防止を民生部門で押し進めるホープと目されている。
 この省エネラベルは、4年ほど前から市民や地方自治体が独自に検討し、スタートしていたものだ。
 はじめたのはCO2削減の議定書を決めた京都と、日本の大消費地である東京であった。
 その後、他の市民団体や自治体の協働で全国の半分である23地区に広まり、青森でも昨年はじまった。男女の大学生が青森の協議会を運営している。
 東京都は条例化し、首都圏の八都県市にも広まった。全国協議会もでき、地方から日本中にゆっくりと広まろうとしていた。
 この動きに、経済産業省が注目し、国の制度にすることを決めたのだ。
 国は市民団体にパートナーシップの協力を求めている。しかし企業寄りの制度になっていき、協力団体を選ぶのも、実績を無視し入札になるそうだ。

 日本でも珍しい市民や地方が育てたこのラベルを、うまく国の制度にのせれば、新しい民主主義の例をつくることになる。地方あってこその国であるはずなのだが。
男子学生は言う、「どうして、お上は仕切りたがるのだろう。」
女子学生は、「やっぱり、東京で働いてみたいと思いました」と、私に感想をもらした。
 彼らの言うことは、残念ながらどちらも真実をついている。本当に長続きのするパートナーシップが育つには、もう少し努力が必要かもしれない。(M)


鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長

雪と温暖化 

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-2-20 10:20
 青森県の日本海側は雪国だ。昨年と今年は大雪だったので、いろいろ苦労した。わが家の梁も雪の重みでゆがみ、障子が閉まらなくなった。家の出口では除雪車が残した雪の土手片づけだった。

しかし不思議なもので、リンゴの枝きりやお城の桜の枝きりが始まると春の話題に気持ちがなびき、雪のつらさを忘れていく。   
地球温暖化といわれる割に、雪の量が多いじゃないかと気象の専門家に聞いた。
「温暖化は冬の最低気温上昇に現れるんですよ。温暖化で日本海の水温が上がれば、蒸発量が増えてかえって日本海側の雪量は増えるんです。
だけど世界中の高い山では雪が減っているのが事実です。その理由はまだ十分に分かっていないんです」という。
温暖化をイメージだけで考えている素人は、多少の変動があっても温暖化で雪が減っていくのかと思っていたのに、逆に増えることもあるのだ。
今年は平年の2倍も降って異常な年だと思っていたが、大雪が当たり前になってしまうのだろうか。
北海道出身で青森市に住む知り合いから言われた。
「こちらに来たとき北海道に比べて青森県の除雪の状況はひどいと思っていたけど、弘前市はいまだに遅れているね。国道に出るのに普段15分のところを、雪が降ったら一時間もかかってしまうなんて、生活が成り立たないよ」と。
雪が多いと言われる青森市だが、「今年の除雪は上手かった。一度も玄関の前の雪片づけをしなくてすんだ。」と聞くと、へづね思いだ。やりきれない。
同じような話はNHKのラジオで聞いた。北ドイツからの投書だ。
「こちらでは雪が降っても歩道はきれいに除雪されます。日本の雪国の人に見せたいです。」

これを読んだ女性アナウンサーは楽しい話題として朗らかに声を立てて笑った。雪国のことは雪国の人間でなくてはわからない。
「それでも、今年の弘前は去年より良くなった。ちょっとずつ良くなっていくよ」という人もいる。
温暖化と言われて久しい。温暖化防止のための努力がはじまっているが、それだけでなく、大雪に備えた危機管理にまで手を回す余裕を持ちたいものだ。
お城で桜が咲き、家で障子が閉まるようになったら雪の対策を忘れてしまうのかしら。


鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長

医と食と農-農は医を越えられるか-

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-2-10 10:10
 「健康は私達の宝」、そんな言葉が病院の受付におどっている。健康を確保するための食が求められ、さらに食の安全安心がさけばれ、医食同源という言葉が復活している。医と食は不可分であり、医をつきつめれば食に至る。スウェーデンの自治体職員は市民が不安を感じた時にすぐに対応策を講じ、「困った」という訴えが市民から起こる前に、その恐れを未然に防ぐと聞いた。スウェーデンでは、食品や製品につける安全マークや環境にやさしいマークがたくさん出来て、氾濫したという。大量消費大量生産の企業が次々とつぶれ、かわって環境にやさしい企業の求人が電話帳の厚さほど出来たというのだ。
私がこの話を聞いたのは20年くらい前のことだ。日本はスウェーデンに比べ20年おくれている面があるという。20年経った今、日本の自治体はどうだろうか。健康の問題に食が大きく関わっているとしたら、誰がその問題に手をつけるべきなのだろうか。

医師の目的は健康の維持と回復であり、病院はその場所である。しかしながら、「健康な人でないと病院にはいけない。」「何時間も大勢の人のあいだで待たされて、病院に行って家に帰ってくる間にくたびれてしまう。」そんな声も良く聞く。さらに「便に血が混じる。腸から出血している。しかし調子が悪くても病院には行かない。病院から出て来れなくなっちゃう。忙しいから仕事優先だ。」という声は病院への不信感を表している。病院は病気をなおし、延命をはかる場所であるはずだが、現実は厳しい。弘前市民の平均寿命は病院のない地区の住民の平均寿命と変わらないという。対処治療や検査手段としての病院以外に、県民はどのような防衛手段を持てるのだろうか。

 弘前にはたくさん病院があって市民は幸せだという人がいる。しかし初期治療や早期治療の速やかな対応が取れる救急病院がないというのが現状だ。これは大都会の夜間でも似た状況なのだが、青森では一年中夜間の状況だ。交通事故などで受ける脳挫傷の場合、受傷後5分以内に低体温法のできる病院と医師に処置されれば完全に治癒し、6時間以内であれば回復の目途が立ち、一週間以内でもある程度の効果があると言われる。どこに住むかで人生後半の生き方が変わってくることになる。病院に入れば「人は物」だ。心より、身体の治療が優先される。入院による心の負担、家族の負担も考慮されていない病院が多い。良い病院や医師のいないところに住むのは運命であり、家族がその負担を負えない時はそれも運命であるのか。米国ではベットに運ばれた患者を前に、医師からの治癒の可能性に対する治療とそれにかかる経費の説明とともに、どの治療を選択するか弁護士立会いで話し合いがあるそうだ。患者は世界トップレベルの治療から一般的な治療まで予算を考えながら選択できるという。命の問題もお金と個人の自由が優先されている。対処療法しかおこなわれず目の前の現実に追われている病院では、どこまで患者の選択の自由を守ってもらえるのだろうか。

 医に不満があるように、食にも不安がある。食だって同じだ。日常どの食品を私達が口にするかの選択は、個人に本来まかされているのだから、個人の責任、自己責任で選ばなければならない。大きな社会問題になるので、いま流通している食品に医学的な問題があるなどとは言えないし、10年、20年後の因果関係を証明する手段もない。現在の危機感はpptレベルという極微量の環境ホルモンと言われる毒物などが、食を通じて胎児に影響し、母乳にも含まれるという現実からきている。農民の危機感は自分の業をどう残すかという切実な問題と、自分の作り出す食品への不安からきている。病院に多額の経費を払えず医者にかかれないので、そして医に多くを期待できないので、自分達の本来するべき生業から健康を求めようとした農民が各地にいた。
 この秋NHKのクローズアップ現代で放送された西会津の村の様子は大変衝撃的なものであった。村人が食事の減塩につとめ、農地をミネラルバランスの良い土にするためにエーザイ生命科学研究所に土壌の化学分析を依頼して中嶋農法に指導を仰いだ。健康な農地から健康な野菜を作って村人が食べるようになったら、村の医療費が減ったというものだ。
 対処療法ではなく、原因をなくし健康を直接求めたほうが話は簡単だ。病院は有った方が良いのだが、病院がなくて済むならそれが最高なのだ。人々は最高を望めないと諦めているので、あえて健康な食を求めていないのではないかと思える。

しかしあきらめてはいられずに、津軽では健康な食に生き残りをかけて、60歳以上の年寄り農民が立ち上がった。孫や子に継いでもらえる農業にするために堆肥プラントを導入し、健康な土作りをし、流通や販売網も確保しようという、野心的なものだ。このねらいは自分達の作った農産品の価格を自分達が決められるようにしたいという、切実な思いも込められていた。農産物も自由化にさらされ農民達は平成の維新という意識で新しい挑戦に取り組もうとしているのだ。消費者が本当に求める健康な食品を作れば、収入を確保し農業を続けていける。若い人が農業を継いでくれるということだ。いま弘前大学を卒業する農家の息子達はほとんど農家を嗣がない。それは収入が確保されれば解決するのだ。消費者も健康のために多少の経費は惜しまない。家庭で買う野菜のためには少しでも安く新鮮なものという消費者の購入時における判断基準は、安全安心な野菜、健康になる野菜、ミネラルバランスの良い、身体に良い野菜という基準に変わりつつあるように思う。問題はそういう野菜であることをどのように宣伝し、証明していくかである。「医療費が減る」、「寿命が延びる」というのは絶好のキャッチコピーになる。

 農水省はバイオマスフロンティア事業として循環型農業の推進をとなえ、地球温暖化防止とともに、安心安全な農業の推進をはかろうとしている。身体にやさしい農産品を売る津軽の農民が、農水省の土づくり委員会の中嶋とどむ先生と知り合い、農水省の農業集落排水汚泥堆肥化プラントの補助事業に手を上げないかと言われた。ローソンやイトーヨーカ堂などで健康食品の販路を持つ中嶋農法の提唱者だ。農水省は県や市の担当者が手伝うならコンサルタントは要らない。農民主体の事業を立ち上げれば、お金のかからないものになる。地方自治体が設計する経費の半額ですむ。政治家が関わらないで大きな事業がおこなわれるのは珍しい。「これは全国の農民モデル事業になれ、」と農水省は言った。
 農民達は自然農法や減農薬、低農薬栽培に関心があり、自分で作った無農薬のおコメから白神の酵母を使って日本酒を作ったり、減農薬のりんごを関東の大手に出荷していた。しかし中間のバイヤーに買い叩かれ、中間マージンを取られることの不満を思っていた。津軽のブランドとして組合などの集団で、ある程度の量を安定的に出荷できる販売網を持たない限り、買いたたかれてしまうのだ。青森のりんごであるのに他県のブランド名の下でしか循環型農業の農産品として売れないのである。自分達のこだわりを伝えるブランドを持ちたいというのは、当然のことであった。

 青森県では「攻めの農業」「循環型社会」「安全安心」というスローガンが氾濫している。弘前市でも農業立市宣言をしている。県や市はISO14001も取得し環境配慮の自治体を目指そうとしているように見える。
しかしながら、自治体は、申請書や補助事業、法律に不慣れな農民にコンサルタントが不要なくらいに手助けをする農水省が言った自治体ではないようだ。私は市民代表として市長と環境問題を解決するための協定を、日本ではじめて結んだ。環境省が作った今年の環境白書にはこの「ひろさき環境パートナーシップ21」が全国的に注目されるものとして記載されている。環境にやさしい循環型社会を作ることがこの協定の重要な目的である。しかし残念ながら市の堆肥プラントを担当する部署にとって、この協定は意味をもたなかった。他県では自治体が主体となって取り組んでいる事業に、津軽では農民や市民が資金を4000万円集め何とか申請書をあげてもらおうと4年間も努力しても、その努力は評価されなかった。かえって時間をかけても充分な準備の出来ない責任感のない団体としてしか見られていない。自治体は収益が上がらない程度の安い処理費用にしたがり、金融機関は堆肥事業しか見ないで、利潤の上がらない危険な事業と見る。「融資の確保ができないなら協力できない。」「あなた達がもうけるために手上げをしたんでしょ。」というのが決り文句であった。自治体がつくると農民の望むものが作れないので、農民が主体になってやろうとしたのに、うまく協力関係を結べないようなのだ。

 堆肥を売って収益をあげようとしている堆肥プラント事業は、全国的にうまくいっていない。堆肥は完熟させれば量が減る。量を確保しようとすれば、堆肥は未熟となり売れ残ってしまう。良い堆肥をつくり、堆肥量が減って収入が減るような事業は成り立たないのだ。農水省も自治体が支払っている汚泥処理費用を堆肥化費用として回すようにと指導している。しかしながらこの汚泥処理費用は全国でみると5倍位の開きがあって、燃料として燃やすのが一番費用のかからない方法だ。現在焼却処分している汚泥も、その一部はリサイクルし、堆肥化するべきものとして整備されつつある。しかしこれは地球温暖化防止といっても、サーマルリサイクルという名目で熱利用にいってしまうのが現状だ。自治体が運営する堆肥化プラントは、堆肥の売り上げだけで利益を上げようとすると赤字になる。これは当然なのである。汚泥処理費用で何とかまかなっているのだ。長井市のレインボープランの堆肥でも同じことだ。

 堆肥プラント事業は自治体が一体となって取り組み、農民と協力するべき事業である。自治体の理解が不可欠である。汚泥量が十分確保できる自治体でないと、この事業は始められない。循環型社会はある程度の規模と体力が必要なのだ。最近流行の合併は、本来自己責任の持てる、経費のかからない簡素な自治体にすることが目的であったはずである。合併に向かって、地域がどのように生き残っていくのかの選択にも関わっている。環境にやさしい堆肥が及ぼす波及効果は地域の農業の底上げと生き残りに関わっている。この事業に関わる農政、環境、都市計画、農村整備、下水道、商工、労働、観光、医療、福祉という多くの分野にパートナーシップの意味を理解してもらい、農が基本であることを宣伝できる地域になってもらいたいものである。
60歳を越えた農民達が陽明学者安岡氏の「農は国の宝、米を作るは下農、稲を作るは中農、土をつくるは上農、人をつくるは上々農」という言葉を唱えて、自分の生きざまを地域に残そうとしている。その農民を助け、医を越える農を育てる公務員はどれだけいるのだろうか。

この文章は、2006年1月「のうそんせいび」第62号 青森県農村振興技術連盟に掲載の同名の文章を一部修正したものです。2006年2月20日

鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長