メインメニュー
がんばろう東北!

節電にご協力ください
東北電力電気使用量

お天気
XML2JSON sample
アクセスカウンタ
今日 : 1689168916891689
昨日 : 4040
今月 : 2616261626162616
総計 : 664882664882664882664882664882664882
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

エコ・グリーン
当HPのメニューカラ―は「エコ・グリーン」です
ECOリパブリック白神とは?
活動
白神山地について
白神山地を歩く
<  2018年12月  
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
お知らせ/随筆 一覧
  • カテゴリ 随筆 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

お知らせ - 医と食と農-農は医を越えられるか-

医と食と農-農は医を越えられるか-

カテゴリ : 
随筆
執筆 : 
ecomaster 2010-2-10 10:10
 「健康は私達の宝」、そんな言葉が病院の受付におどっている。健康を確保するための食が求められ、さらに食の安全安心がさけばれ、医食同源という言葉が復活している。医と食は不可分であり、医をつきつめれば食に至る。スウェーデンの自治体職員は市民が不安を感じた時にすぐに対応策を講じ、「困った」という訴えが市民から起こる前に、その恐れを未然に防ぐと聞いた。スウェーデンでは、食品や製品につける安全マークや環境にやさしいマークがたくさん出来て、氾濫したという。大量消費大量生産の企業が次々とつぶれ、かわって環境にやさしい企業の求人が電話帳の厚さほど出来たというのだ。
私がこの話を聞いたのは20年くらい前のことだ。日本はスウェーデンに比べ20年おくれている面があるという。20年経った今、日本の自治体はどうだろうか。健康の問題に食が大きく関わっているとしたら、誰がその問題に手をつけるべきなのだろうか。

医師の目的は健康の維持と回復であり、病院はその場所である。しかしながら、「健康な人でないと病院にはいけない。」「何時間も大勢の人のあいだで待たされて、病院に行って家に帰ってくる間にくたびれてしまう。」そんな声も良く聞く。さらに「便に血が混じる。腸から出血している。しかし調子が悪くても病院には行かない。病院から出て来れなくなっちゃう。忙しいから仕事優先だ。」という声は病院への不信感を表している。病院は病気をなおし、延命をはかる場所であるはずだが、現実は厳しい。弘前市民の平均寿命は病院のない地区の住民の平均寿命と変わらないという。対処治療や検査手段としての病院以外に、県民はどのような防衛手段を持てるのだろうか。

 弘前にはたくさん病院があって市民は幸せだという人がいる。しかし初期治療や早期治療の速やかな対応が取れる救急病院がないというのが現状だ。これは大都会の夜間でも似た状況なのだが、青森では一年中夜間の状況だ。交通事故などで受ける脳挫傷の場合、受傷後5分以内に低体温法のできる病院と医師に処置されれば完全に治癒し、6時間以内であれば回復の目途が立ち、一週間以内でもある程度の効果があると言われる。どこに住むかで人生後半の生き方が変わってくることになる。病院に入れば「人は物」だ。心より、身体の治療が優先される。入院による心の負担、家族の負担も考慮されていない病院が多い。良い病院や医師のいないところに住むのは運命であり、家族がその負担を負えない時はそれも運命であるのか。米国ではベットに運ばれた患者を前に、医師からの治癒の可能性に対する治療とそれにかかる経費の説明とともに、どの治療を選択するか弁護士立会いで話し合いがあるそうだ。患者は世界トップレベルの治療から一般的な治療まで予算を考えながら選択できるという。命の問題もお金と個人の自由が優先されている。対処療法しかおこなわれず目の前の現実に追われている病院では、どこまで患者の選択の自由を守ってもらえるのだろうか。

 医に不満があるように、食にも不安がある。食だって同じだ。日常どの食品を私達が口にするかの選択は、個人に本来まかされているのだから、個人の責任、自己責任で選ばなければならない。大きな社会問題になるので、いま流通している食品に医学的な問題があるなどとは言えないし、10年、20年後の因果関係を証明する手段もない。現在の危機感はpptレベルという極微量の環境ホルモンと言われる毒物などが、食を通じて胎児に影響し、母乳にも含まれるという現実からきている。農民の危機感は自分の業をどう残すかという切実な問題と、自分の作り出す食品への不安からきている。病院に多額の経費を払えず医者にかかれないので、そして医に多くを期待できないので、自分達の本来するべき生業から健康を求めようとした農民が各地にいた。
 この秋NHKのクローズアップ現代で放送された西会津の村の様子は大変衝撃的なものであった。村人が食事の減塩につとめ、農地をミネラルバランスの良い土にするためにエーザイ生命科学研究所に土壌の化学分析を依頼して中嶋農法に指導を仰いだ。健康な農地から健康な野菜を作って村人が食べるようになったら、村の医療費が減ったというものだ。
 対処療法ではなく、原因をなくし健康を直接求めたほうが話は簡単だ。病院は有った方が良いのだが、病院がなくて済むならそれが最高なのだ。人々は最高を望めないと諦めているので、あえて健康な食を求めていないのではないかと思える。

しかしあきらめてはいられずに、津軽では健康な食に生き残りをかけて、60歳以上の年寄り農民が立ち上がった。孫や子に継いでもらえる農業にするために堆肥プラントを導入し、健康な土作りをし、流通や販売網も確保しようという、野心的なものだ。このねらいは自分達の作った農産品の価格を自分達が決められるようにしたいという、切実な思いも込められていた。農産物も自由化にさらされ農民達は平成の維新という意識で新しい挑戦に取り組もうとしているのだ。消費者が本当に求める健康な食品を作れば、収入を確保し農業を続けていける。若い人が農業を継いでくれるということだ。いま弘前大学を卒業する農家の息子達はほとんど農家を嗣がない。それは収入が確保されれば解決するのだ。消費者も健康のために多少の経費は惜しまない。家庭で買う野菜のためには少しでも安く新鮮なものという消費者の購入時における判断基準は、安全安心な野菜、健康になる野菜、ミネラルバランスの良い、身体に良い野菜という基準に変わりつつあるように思う。問題はそういう野菜であることをどのように宣伝し、証明していくかである。「医療費が減る」、「寿命が延びる」というのは絶好のキャッチコピーになる。

 農水省はバイオマスフロンティア事業として循環型農業の推進をとなえ、地球温暖化防止とともに、安心安全な農業の推進をはかろうとしている。身体にやさしい農産品を売る津軽の農民が、農水省の土づくり委員会の中嶋とどむ先生と知り合い、農水省の農業集落排水汚泥堆肥化プラントの補助事業に手を上げないかと言われた。ローソンやイトーヨーカ堂などで健康食品の販路を持つ中嶋農法の提唱者だ。農水省は県や市の担当者が手伝うならコンサルタントは要らない。農民主体の事業を立ち上げれば、お金のかからないものになる。地方自治体が設計する経費の半額ですむ。政治家が関わらないで大きな事業がおこなわれるのは珍しい。「これは全国の農民モデル事業になれ、」と農水省は言った。
 農民達は自然農法や減農薬、低農薬栽培に関心があり、自分で作った無農薬のおコメから白神の酵母を使って日本酒を作ったり、減農薬のりんごを関東の大手に出荷していた。しかし中間のバイヤーに買い叩かれ、中間マージンを取られることの不満を思っていた。津軽のブランドとして組合などの集団で、ある程度の量を安定的に出荷できる販売網を持たない限り、買いたたかれてしまうのだ。青森のりんごであるのに他県のブランド名の下でしか循環型農業の農産品として売れないのである。自分達のこだわりを伝えるブランドを持ちたいというのは、当然のことであった。

 青森県では「攻めの農業」「循環型社会」「安全安心」というスローガンが氾濫している。弘前市でも農業立市宣言をしている。県や市はISO14001も取得し環境配慮の自治体を目指そうとしているように見える。
しかしながら、自治体は、申請書や補助事業、法律に不慣れな農民にコンサルタントが不要なくらいに手助けをする農水省が言った自治体ではないようだ。私は市民代表として市長と環境問題を解決するための協定を、日本ではじめて結んだ。環境省が作った今年の環境白書にはこの「ひろさき環境パートナーシップ21」が全国的に注目されるものとして記載されている。環境にやさしい循環型社会を作ることがこの協定の重要な目的である。しかし残念ながら市の堆肥プラントを担当する部署にとって、この協定は意味をもたなかった。他県では自治体が主体となって取り組んでいる事業に、津軽では農民や市民が資金を4000万円集め何とか申請書をあげてもらおうと4年間も努力しても、その努力は評価されなかった。かえって時間をかけても充分な準備の出来ない責任感のない団体としてしか見られていない。自治体は収益が上がらない程度の安い処理費用にしたがり、金融機関は堆肥事業しか見ないで、利潤の上がらない危険な事業と見る。「融資の確保ができないなら協力できない。」「あなた達がもうけるために手上げをしたんでしょ。」というのが決り文句であった。自治体がつくると農民の望むものが作れないので、農民が主体になってやろうとしたのに、うまく協力関係を結べないようなのだ。

 堆肥を売って収益をあげようとしている堆肥プラント事業は、全国的にうまくいっていない。堆肥は完熟させれば量が減る。量を確保しようとすれば、堆肥は未熟となり売れ残ってしまう。良い堆肥をつくり、堆肥量が減って収入が減るような事業は成り立たないのだ。農水省も自治体が支払っている汚泥処理費用を堆肥化費用として回すようにと指導している。しかしながらこの汚泥処理費用は全国でみると5倍位の開きがあって、燃料として燃やすのが一番費用のかからない方法だ。現在焼却処分している汚泥も、その一部はリサイクルし、堆肥化するべきものとして整備されつつある。しかしこれは地球温暖化防止といっても、サーマルリサイクルという名目で熱利用にいってしまうのが現状だ。自治体が運営する堆肥化プラントは、堆肥の売り上げだけで利益を上げようとすると赤字になる。これは当然なのである。汚泥処理費用で何とかまかなっているのだ。長井市のレインボープランの堆肥でも同じことだ。

 堆肥プラント事業は自治体が一体となって取り組み、農民と協力するべき事業である。自治体の理解が不可欠である。汚泥量が十分確保できる自治体でないと、この事業は始められない。循環型社会はある程度の規模と体力が必要なのだ。最近流行の合併は、本来自己責任の持てる、経費のかからない簡素な自治体にすることが目的であったはずである。合併に向かって、地域がどのように生き残っていくのかの選択にも関わっている。環境にやさしい堆肥が及ぼす波及効果は地域の農業の底上げと生き残りに関わっている。この事業に関わる農政、環境、都市計画、農村整備、下水道、商工、労働、観光、医療、福祉という多くの分野にパートナーシップの意味を理解してもらい、農が基本であることを宣伝できる地域になってもらいたいものである。
60歳を越えた農民達が陽明学者安岡氏の「農は国の宝、米を作るは下農、稲を作るは中農、土をつくるは上農、人をつくるは上々農」という言葉を唱えて、自分の生きざまを地域に残そうとしている。その農民を助け、医を越える農を育てる公務員はどれだけいるのだろうか。

この文章は、2006年1月「のうそんせいび」第62号 青森県農村振興技術連盟に掲載の同名の文章を一部修正したものです。2006年2月20日

鶴見実
弘前大学 理工学部 地球環境学科 大気水圏環境学講座 教授
HEP21理事長

トラックバック

トラックバックpingアドレス http://shirakamifund.jp/modules/d3blog/tb.php/42